ゲームの企画書を書くと言う事① 良い企画書って
ゲームを実際に開発を行っているプロジェクト進行中であっても、基本別のアイデアが浮かんできます。本当は良くないことですが、作っている最中のプロジェクトよりも、もしかしたらこっちの方が面白いんじゃないの?と思う事もチラホラです。
企画書のことについて最近いろいろ聞かれる事もあるので、自分の経験の範囲で答えることにしていますけど、どんな企画書が良い企画書なのか?と問われることも。
こういう場合、ほとんど、「通る企画書」と答えるのが常です。
正直なところどんな書き方しても、いいと思っています。ルールは無用です。
企画が「通る」ためには。
正直、紙に一言だけ何かキャッチーな言葉を書いて、「それ開発しよう!」となれば、こんなに良いことはありません。
でも、たぶん、それはで中々難しいのだと思うのです。
一言で、ゲーム全ての内容をイメージさせる事ができ、そのゲームが売れると判断される事ができるのならば。自分もそんな能力がほしいのですが、そうならないので、あれこれ、説明するのです。
企画書はあくまで、通ってナンボなのです。
企画書は上手く書くことが重要、伝える事も重要、でも、一番はその企画書が通って実際のゲームの開発にこぎ着く必要があるのです。そのための、企画書はツールだと思っています。
当たり前なんですけど、結構、企画書を書くこと、面白いゲームを説明できる事に重きを置いていて、通すって事を忘れて書く人が多いと思います。
通す為に、どう企画書を使って書くのか。「面白いゲームを説明できる」必要は実はなかったりもするのです。通すことができさえすれば。
なので、企画書は、企画を誰にみせる、誰が企画書を審議する、そこを意識して書くことが多いです。そのため、同じ内容でも、書き方とか、見せ方が変わることもあるかと思っています。そうすることが、企画書を通す最善なのかなとおもって、企画書を日々書いて、みせて、そして落とされる・・・・・・という日常を送っております。
ゲームを開発する事に改めて思った事
ゲームを開発する仕事を始めて結構長い時間を使ってきました。何も考え無しにゲーム会社まで自分で作って潰して・・・・・・そしていまだにゲーム開発をおこなっています。
会社を潰してから、その傷が癒えぬまま、生きるためにゲーム会社に就職をしましたが、日々仕事に対してがむしゃらになれない自分がいました。
悶々と三年が過ぎていき、ゲームの開発を続けています。
しかし、今のままでは、このままでは、ゲーム開発を続けてもしんどい。そう思い続けていたのも事実です。無為に時間だけが過ぎ、仕事を、作業をこなしている感じ。
心が晴れない状態でした。
先日、ある人からアドバイスを頂きました。何のために生きるのか、何のためにゲームの開発しているのか・・・・・・そう問われました。
自分は考え直しました。何故、開発をするのか・・・・・・
「小学校の時であったあるゲーム。そのゲームをプレイして感動し涙まで流れた。自分もそんなゲームを作りたい。作り出す人になりたい」
そう思った、あの時のキオクが・・・・・・戻りました。
ふと我に返りました。自分が会社を起こして潰してまで、そして改めてゲーム開発の会社に入ったのは何故?
「作りたいゲームがあるからだろ」
そう思ったとき、心が晴れる思いがしました。
「感動するゲームを作るため」にここまで一生懸命生きてきた。
自分のやるべき事が見えた気がしました。
改めて自分をリスタート。
「プレイするみんなに感動を与えるゲームをつくる」
そのために、日々の記録をつづり、ゲームについて考えていきたいと思います。